継続3年目の研究実施は、完成年度ということもあり、(1)1906-1926年間のサトウ自筆日記の判読テキストを作成すること、(2)サトウ日記全46冊の書誌的リストを作成すること、以上の二つの主要な事業に集中的に取り組み、ほぼ計画通りの成果をあげた。当初計画との変更点の一つは、報告書の印刷発表が、2002年8月中旬となったことである。研究対象を全46冊の日記に拡大したための余波である。 3年前の研究計画申請時には、約20年分の日本滞在時期だけを研究対象にしていたのが、いったん本研究の補助金を受けて日々に努力するうちに、自然に高揚する意欲は、約65年間にわたるサトウの全ての自筆日記にまで本研究の対象をひろげて、判読テキストと書誌的リストを作成する勢いに発展した。 20年分の対象が、65年分という3倍の年数に膨らんでしまい、全46冊のサトウ日記は、頁数にしても1万頁を越え、実際に判読を終え打ち出したタイプ用紙(A4版・80英字x30行)も約8000枚、それを積み重ねていくうちに、腰の高さにまで達する膨大なものとなった。サトウ日記の研究にほぼ40年間を捧げて、最近他界された萩原延壽氏の言葉を借用するなり、「常識を越えている」私のチャレンジも、ここで一区切りついたようでホッとしている。 故萩原氏が主として扱った20年分は、本研究でいう第一期と二期にあたるが、その後の20年間と晩年の20年間に、サトウが大きく二度変貌していることは、全46冊の日記判読作業のなかで知りえた新しい発見である。詳しくは報告書の論文で述べる。報告書とは別に、新書版「アーネスト・サトウの日記」を本研究成果の一部として近く執筆刊行の予定である。
|