啓蒙前期のフランスにおける唯物論の生成において、代表的地下文書の一つであるジャン・メリエ(1664-1729年)の『覚え書』は最重要の位置を占めている。この田舎司祭の生涯とその著作伝播については、いまだ誤解、伝説に取り巻かれているため、まず最新の調査に基づく実証的データのみから推論できる記述を作成した。次に、メリエの無神論がどのような構造で唯物論と結合されているかを明らかにするため、トリエント公会議後に明示されたカトリック教会の根幹教義、三位一体・受肉・聖体に関するメリエの反駁の戦術を分析した。その結果明らかとなったのは、彼が宗教論争的手法、リベルタン系譜の比較宗教的手法、実証神学的手法を駆使して、読者たる平民のために、徹底的な唯物論的記述による「霊的」神観念の否定を行ったことである。すなわち、キリスト教の神は出産する愚劣な神として描かれ、イエスは貧民の中の狂信者と記述され、聖体の秘蹟は聖職者の世俗的権力奪取の手段として暴露される。さらに、キリスト教的な霊的存在を全否走するという側面から、メリエの唯物論の特性を明らかにするため、彼の「不死の霊魂」反駁を分析した。その結果明らかとなったのは、当時の哲学的地下文学における物質的霊魂論を背景にして、カトリック教会正統派に受け入れられた、マールブランシュの霊肉二元論による肉体論をメリエが徹底的に組み替えて、これを唯物論的記述に変えたことである。また、反面において、メリエはデカルト派の二元論に隠された神学的要請、霊魂の不滅性擁護という意図を摘出しこれの非論理性を暴露したことも明らかとなった。最後に、『覚え書』を18世紀中期の理神論的立場から利用して作成され、もっとも著名な地下文書の一つとなった『ジャン・メリエの見解要約』(ヴォルテール出版)を歴史的資料として訳出した。
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