最終年度にあたる本年度は初年度におこなった『ルゴン=マッカール叢書』第8巻『愛の一ページ』の分析、および2年目の同第11巻『ボヌール・デ・ダム百貨店』の分析を軸として、フランス近代における都市の発展や資本主義社会の形成と、そこにおける階級どジェンダーの問題について総合的な考察をおこない、研究の成果をとりまとめた。 『愛の一ページ』は、叢書の中でその前後に位置する第7巻『居酒屋』と第9巻『ナナ』に挟まれており、一種の3部作を構成している。『居酒屋』は性的規範の曖昧な労働者階級の世界を描くのに対し、『愛の一ページ』は家庭に閉じこめられた裕福で保守的なブルジョワ階級の女性を描く。そして『ナナ』では、上層・下層の階級要素が混じり合い、ジェンダーが交錯するいわゆるモダニティの空間(グリゼルダ・ポロック)が舞台となる。それは金銭に基づく性的交換がおこなわれる場所である。ゾラはこれら3つの領域をパリの都市空間の中に位置づけるとともに、それぞれの領域における女性のセクシュアリティの様相と、遺伝に基づく精神疾患の様々な発現を探求している。 一方、『ボヌール・デ・ダム百貨店』はモダニティの最前線とも言えるデパートを舞台にした小説である。ここでも階級要素は混交し、客であるブルジョワ女性と女店員として働く労働者階級の女性の対立があるが、ゾラによれば日々贅沢に接している女店員は、労働者階級とブルジョワ階級との中間に位置する曖昧な階級を形成することになる。婦人客と女店員は、いずれも近代の大衆消費社会の進展によって生み出された新しい女性のカテゴリーであるが、強烈な誘惑に満ちた商業社会の中で、前者は買い物狂や万引き狂(クレプトマニア)を発症し、後者はしばしば自らが販売する商品の様相を帯びて、自身の身を売ることになる。そうした状況下で、忍耐強く賢明な「女性性」によって経営者のムーレを征服するヒロインのドゥニーズは、資本主義社会における理想の女性として描かれているが、それが男性社会における理想であることは言うまでもない。 本研究においては、これらの様々な女性のモチーフが、同時代の印象派の画家たち--マネ、ドガ、ルノワール、ベルト・モリゾなど--と共通しており、ゾラと画家たちが同時代の問題意識を共有していたことも明らかになった。
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