コルネイユが劇壇復帰を果たした1659年の『エディップ』以降の戯曲を中心に、中・後期作品の作劇法の変遷を調査、検討した。 『エディップ』は、宿命の悲劇であるソフォクレスの作品とは、大いにドラマツルギーを異にしている。人間の自由意志の尊厳を認めるコルネイユ的世界とギリシア悲劇とは本質的にミスマッチなのだが、彼は、オイディブス伝説をサスペンスをメインに据えた娯楽作品に作り替えることで、大成功を収めた。 次の『ソフォニスブ』や『オトン』になると、リアリズム志向が顕著になり、自己愛、権力欲、虚栄心などに動かされる人間精神の暗部に照明が当てられる。もともとコルネイユは、正統的な古典演劇理論からすれば異端意見の持ち主であり、「真実らしさ」よりも「真実」を優先させてきた。この「真実」の重視は、『エラクリユス』の頃には、バロック的異常美を追求する理論的根拠となったし、『ソフォニスブ』の場合にはリアリズム的作風を正当化する支えとされたのである。また、特に『オトン』以降は、ルイ十四世下の安定した治世を反映する、「政略結婚劇」とでも呼ぶべき構成の戯曲が大部分となり、ドラマツルギーの面で言うと、『メリート』を始めとする彼の初期喜劇への回帰現象が起こったと考えられる。 『ピュルケリ』など最晩年の三作品は、ラ・ロシュフーコーの『箴言』を思わすペシミスティックな雰囲気が戯曲を支配している。特に『シュレナ』はエレジーに近い作品で、コルネイユ劇としては異色なほど単調な構成の下に、英雄と王権の間の和解の余地のない悲劇的対立を描いて、注目される。
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