文献の収集とテキストのデータベース化に関しては、近代オーストリア小説関係の文献をとくにムージル、リルケ、ブロッホを中心として収集し、またムージルの主著『特性のない男』のデータベース化を進めた。 作品分析については、19世紀オーストリア小説における「父」「楽園」というキーワードを手がかりにして、リルケ、ホフマンスタール、ブロッホ、ムージルの作品の比較検討を行なった。ムージルに関しては、シールズフィールド、グリルパルツァー、シュティフター、エーブナー=エッシェンバッハ、アンツェングルーバーら19世紀の作家の作品と比較し、『特性のない男』を中心として、その創作活動の意味を検討し、100枚の論文にまとめた。その内容を要約すれば次のとおりである。ムージルにおいては、19世紀のオーストリアの作品において繰り返し問題とされた「父」の権威が、主人公の父の描写によって顕在化されて取り扱われている。この権威の問題は同時に言説の問題であり、ムージルはこの「父の言説」に対して、「愛の言説」という別な言説を提示した。それは現代における「大きな物語」の喪失と密接にかかわる、歴史意識の問題であり、物語の問題が歴史の問題であることが明らかとなる。オーストリアの歴史の現実において、国家が消滅し、ナチズムに巻き込まれるなかで、ムージルの試みは、別な歴史への試みであると評価できる。このような近代オーストリア小説の全体的な展望の中で、ムージルの作品を検証した研究は、ほかにあまり例のないものであると思われる。なお、この研究成果は、さらに大きな近代オーストリア小説研究としてまとめられる予定である。
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