本研究は、19世紀末から今日までのゲーテ自然科学の受容史を探りながら、現代における科学のあり方を再考し、「自然科学と精神科学」の関係に新しい照明を当てようとするものである。19世紀に自然科学の力が強くなり、文系の諸科学に圧迫を加えるようになった頃、ゲーテ自然科学は自然科学と精神科学を媒介するもの、自然科学のあり方に反省を迫るものとして注目された。 ダーウィン進化論をいち早く受容したヘッケルは、ゲーテとラマルクこそ進化論の先駆者だと見なすとともに、ゲーテ形態学を強引に解釈して、植物と動物はもともと一つである、精神と物質は一つであるという一元論を展開した。 ディルタイは一元論に反対し、自然科学とは異なる方法論を持つものとして「精神科学」を提起した。しかしそうして両者をいったん区別した後で、彼はゲーテの形態学的方法をもとに、両者を統合する「有機的な学」を目指した。 カッシーラーは、ゲーテ形態学に依拠しつつ、人間の認識のなかに、近代科学的な「抽象的思考」とは異なる「具体的思考」があることを明らかにすることによって、近代科学を包摂し、かつそれを乗り越える学を構築しようとした。 レヴィ=ストロースもカッシーラーと同様、近代的な「抽象的思考」とは違った「具体的思考」を「未開民族」のうちに探った。しかも彼はその構造主義的方法をゲーテ形態学から学んだと再三にわたり言明している。 西欧のなかの非西欧的なものに注目しながら、西欧史の「もう一つの系譜」を浮かびあがらせようとしたギンズブルグも、ゲーテ的な形態学に依拠した。 20世紀後半では、分子生物学者たちがゲーテ形態学にしばしば言及している。彼らは、ゲーテが詩「オルペウス教に倣いし原詞」の中に記した「生成し発展してゆく刻印された形相」のうちに彼らのDNAを再発見したのである。
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