ユングは『ファウスト』を錬金術的な魂のドラマだと見た。本研究の意図はその真意をさぐり、ユング錬金術心理学の観点から第二部の構造と意味を解明することにある。本報告書においてはこの問題のアウトラインを示し、ユングが『ファウスト』についてまとまった形で論じている唯一のものでありながら従来顧みられることのなかった1949年の講演「ファウストと錬金術」を翻訳して重要な箇所に詳細な注釈を施し、関係文献の目録を付した。 ユングの重要な論点は以下のごとくである。1)『ファウスト』は錬金術的な魂の変容のドラマ、心理学的には個性化過程の表現である。ただし極めて近代的な刻印を帯びており、錬金術的自己探求の近代的挫折のドラマである。2)『ファウスト』全体の展開は、エロス-権力欲-エロス-権力欲という四段階の構造を持つ。それはすべてファウストの投影であり、この投影像つまづいてファウストは挫折し、この世においては何ものも悟らず、錬金術的変容は成功しない。3)メフィストこそこの錬金術的ドラマの最重要人物であり、メルクリウス=ヘルメスに他ならない。彼はファウストの影ないしは錬金術的ファミリアリス(家僕霊)として変化自在に錬金術的オプスの過程を推進する。4)『ファウスト』は「化学の結婚」、「聖婚」、すなわち「結合の神秘」のモチーフに貫かれている。その粋はエーゲ海でのホムンクルス-ガラテイアの結合であり、これはファウスト-ヘレナの結合の雛型である。5)『ファウスト』においては三と四という数が重要な役割を演じている。その顕著な一例は、童形の馭者-ホムンクルス-オイフォリオン-童児となったファウスト、という一種の「永遠の少年」のモチーフである。6)最終場で展開されるのはカトリック的救済ではなくアポカタスタシス(万物復元)であり、「栄光の母」は聖母マリアではなく「アプロディテ・ウラニア」、「至福の母」である。
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