本年度は動詞過去形の形態規範にかんする記述の歴史的な変遷を主たる調査対象とした。現実の年代記テキストに現れる書き手の規範意識がいくつかの実践的な基準にもとづいているのに対して、同時代の文法書は編纂者が理想とする規範のみを記述する傾向にあるという、前年度に得られた結果をふまえて、本年度はこうした傾向がいつまで続くのかということを確認するために19世紀前半に出版されたミハイロ・ルチカイの『スラブ語・ルシン語文法』(Grammatica Slavo-Rhutena...)の動詞過去形および法の記述をめぐって研究をおこなった。この結果、(1)ラテン語文法から脱却しスラブ語の特殊性を意識した規範記述を目指す態度が顕著になるものの、それを可能にするだけの教会スラブ語およびスラブの民衆語にかんする深い研究がまだ欠如しているために、かなり不自然な記述が生み出されることがわかった。そして、対象言語を深く研究できなかった理由としては、(2)資料としての教会スラブ語古写本の数が当時は十分でなかったこととと、(3)文法記述の理論的な原則が流動的であったことをあげることができる。このことから逆に、16-17世紀のテキストでは書き手が経験的に習得した規範を詳細に検討し、文献ごとに文法体系をまとめる作業が重要であることが明らかになった。
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