資料面では、昨年度より蒐集を始めたオプチナ修道院出版による聖師父関係の著作集(19世紀の原本をオランダでマイクロ化したもの)の残り半分を入手し、その全貌(全57巻)を知るに至った点が大きい。また現在、オプチナ修道院関係の長老の著作や書簡、また革命以前の研究者による伝記などが精力的に復刻されつつあり、それらを併せて利用するならば、ソ連崩壊後復興された修道院の伝統と相俟って、当該テーマに関心のある研究者にとっては実にタイムリーな研究となることが予測される。 研究面では、パイーシイ・ヴェリチコフスキーとその弟子たちがモルダヴィアで実践していたアトスの禁欲主義的祈りの伝統の内容を明らかにすることが早急に取り組むべき課題となったが、そのささやかな成果として、東方教会に伝わる「知恵の祈り」「イイススの祈り」の伝統がロシアで如何に受け継がれ、その意義が聖書的、更には、奉神礼(エウカリスティア)の構造として如何に理解されているかについて、認識を深めることができた。このパイーシイの活動はアトスとロシアを結ぶ大きな架け橋として評価されているが、彼がモルダヴィアの修道院長として、アトスのヘシカズム運動から何を汲み取ったのかという修道性の根幹に関わる問題を、彼自身が「知恵の祈り」の否定派との間に繰り広げた論争の書から読み解くことによってある程度解明したと思う。そこでは明らかにビザンツから吸収されたものが、ロシアの精神的土壌の中でより民衆的な信仰生活と解け合うことにより、ロシア正教特有の宇宙観を形成した点が強調されている(詳しくは、今春発行予定の神戸外大論叢第51巻4号を参照せよ)。 昨年の秋、別の目的でロシアを訪れた際、ある偶然から同種のテーマに携わるロシア人研究者の案内で、再びオプチナ修道院を訪れる機会を持ったが、当地に一週間ほど滞在した折りに、イリイ長老の祝福を得た後、修道士の研究者から幾つかの問題に関する明解な回答を得る幸運に恵まれたことを最後に付け加えておく。
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