本研究の最終年度にあたる本年は、ロシア修道性に不可欠な形態としての「長老制」という概念を取り上げ、その概念的な定義や修道生活の実践仁おける様々な霊性の発現の事実を調査することに始まり、ロシアの長老制の伝統がパイーシイ・ヴェリチコフスキイの共住型修道院を出発点として、それがロシアに導入された後は、森の庵における個人的な修行として開花した点、更にはそれが複雑な人脈を経てオプチナ修道院に伝播したこと等を解明することに努めた。その結果、ビザンツの修道的原型が、ロシアに持ち込まれる契機となった制度としての「長老制」をヘシカズムと「祈り」の実践の媒体として位置づけることができた。その成果が、目下印刷中の論文「近代ロシアの修道性と長老制の発展について-オプチナ修道院前史より-」(外大論叢53巻6号掲載)である。 またこの研究プロセスの中で、これら発表された成果の他に、未だ発表に至らぬ厖大な史料を入手したことを記しておきたい。とりわけ昨今ロシア正教会内部のアルヒーフ史料が公開され、ロシア人を中心とするの多くの研究者の尽力によって、それらに関する研究成果が発表されていることは喜ばしいことである。筆者もその末端に位置する一研究者として、それらの一部を利用して本研究にあたったわけだが、当初の目標に違え、この数年間で利用できた史料と記述できた領域は、オプチナ修道院の長老たちの残した厖大な書簡や、首都の文化人たちとの交流の全貌には遠く及ばず、その基盤となる東方教会の諸概念の規定、長老制のロシアヘの導入の歴史、長老と交わりを持った一部のロシア人インテリの人生と創作上の転換といった所謂「オブチナ修道院の精神的基盤形成の前史」に関わる部分に過ぎない。目下整理中の長老マカーリイやアンブローシイ、及び最近になって発見されたレフ等の厖大な書簡の分析を終えた時、初めて彼らの霊性が、ロシアの「フィロカリア」であることを立証することができると確信している。これこそ筆者とオプチナ修道院との関わりは確固たる礎を得て、今始まったばかりと認識する所以である。
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