本研究においては、ロシアの修道性の基礎に「フィロカリア」のスラヴ語訳、祈りの「知恵のいとなみ」、長老制の発達が核になっているという仮説のもとで、それが実際にロシア正教の霊的修行の一環として受容されたことを跡づけることができた。ただ、それが世俗の文化に如何なる形で反映しているかという点については、厖大な史料の整理と考察を要することから、本研究ではロシア・スラヴ派の思想家キレエフスキーの人生にその十全な残照を認めるにとどまった。以下に箇条書きにして整理しておく。 1)ロシアの修道性の発達は、聖書に次ぐ第二の聖典とも言うべき「フィロカリア」の導入に端を発していた。パイーシイ・ヴェリチコフスキーの翻訳によってロシアに広まったこの修徳の鑑は、ピョートル大帝以後の修道生活に決定的な指針を与えた。その根本的理念と、翻訳の経緯が明らかにされている。 2)東方教会における修道性の基礎をなす祈りの本質は、聖書や聖師父の教義に基づく「知恵のいとなみ」と称される、独特の技法とコスモロジー(世界観)を有するものが主流になっていた。 3)ロシアではスラヴ派の始祖と見なされているイワン・キレエフスキーが西欧主義的な思想家から、正教思想家へと転向する過程を、妻ナターリアとオプチナのマカーリイ長老(ナターリアの霊の父)との交流の記録(アルヒーフ史料)に基づいて跡づけた。 4)正教会の「長老制」の概念を、聖師父やロシアの長老の著述を利用することによって纏め、更にパイーシイの弟子たちによって受け継がれたロシアにおける長老制の実践の歴史と、それがオプチナ修道院の長老制に繋がる経緯を跡付けた。
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