十七世紀のラブレターへの愛好は、この時期の他の文学芸術作法と同様、これまで常にフランス宮廷文化との関わりで論じられてきた。筆者もまたそのような観点から、北ヨーロッパ諸国に見られる同時代のこの現象を、フランス宮廷から周辺諸国に波及したものとして捉え、そのような枠組みで博士論文を構想していた。ところが、具体的にこの時代の北ヨーロッパ諸国の資料を検討していくうちに、ラブレター・マニュアルとして一世を風靡したド・ラ・セールの著作に関しては、確かに妥当するこのフランス宮廷を中心とする文化の波及作用は、この時代の文化的見取図の半面にすぎず、これまであまりにもその栄光が強調されすぎてきたのではないかと考えるに至った。というのは、フランスのラブレター・マニュアルとの関連が上記の方向性において既に七十年代から指摘されている、オランダの風俗画の〈手紙を書く女〉〈手紙を読む女〉のモチーフが、必ずしも一方的な波及作用とは見られず、オランダにおいて既に十五世紀あたりから培われてきた手紙文化の文脈が、このモチーフの定着に大きく貢献していることを示すいくつかの資料に行き当たったからである。しかも、この手紙文化は、オランダで顕著な発展を見せてはいるが、十五六世紀ヨーロッパの他の都市においてもある程度まで跡づけられ(例えばニュルンベルク)、商用の旅を必要とする都市市民が旅行中に妻や婚約者との感情の交流を保つ手段として、早くから手紙の効用が認識されていたことも明らかになった。つまり、これまで一般的だった十七世紀北ヨーロッパの文化的見取図は修正を要し、相互の影響関係はもちろん認めた上で、宮廷文化と都市文化という二極構造を見なければならない。この新たな見取図から、現在、二つの系統のラブレター文化及びその背景をなす恋愛-結婚に対する基本的な態度、その文脈と密接に関わるアモル像の変遷の問題を扱う論文を執筆している。
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