昨年度の研究成果を生かし、十七世紀ラブレター文化の出自と考えられる宮廷文化と都市文化の二つの系統のうち、今年度は主として都市文化に焦点を当てて、十六世紀から十七世紀にかけての結婚観と恋愛観の変化を辿ることに集中した。論を展開するための具体的な考察対象として、中世からヨーロッパに広く流布していた〈毀れ瓶〉の諺を選んだのは、十八・九世紀の市民社会においてよく知られていた〈毀れ瓶〉=〈処女性の喪失〉の寓意が、市民社会のモラルや結婚観を象徴するものであり、その成立過程を考察することは、市民社会とその道徳観の成立過程そのものと密接に関わっていると考えたからである。多くの図像資料や文献を収集し検討することによって、十六世紀にはまだ聖書的な比喩の伝統において〈人すべての脆さ〉を意味することの多かった瓶が、十七世紀前半にオランダの国民詩人ヤーコブ・カッツにより〈処女性の喪失〉の寓意として決定的に読み換えられる背景には、十六世紀初頭から始まる福音主義やプロテスタンティズムの教えの浸透があることが跡付けられた。これらの思想は、教会権力と覇を競う都市や国家の世俗権力と結びついて、夫婦の絆に根ざしかつ父権制を強調する結婚を都市社会制度の根幹に位置づけようとする積極的な意図を持ち、次第に中世の伝統的な結婚嫌いや女嫌いの思想にとって代り始める。結婚の推奨とその積極的な意味づけは、社会の下の層までをも巻き込んで、結婚に至る過程のロマン化を促し、そこに次第に、かねてから中産層の憧れの的であった宮廷作法的な要素も付加されていったのではないかという点が、現在携わっている検討課題である。〈毀れ瓶〉の訓戒を守った娘の至る幸福な結婚というゴールは、〈毀れ瓶〉の悲劇と表裏一体をなして市民社会のモラルを直接的に体現しているが、それはラブレター文化の二面性とも密接に関連する現象だと捉えている。
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