今年度は、ラブレターの都市文化的アスペクトに焦点を絞り、十七世紀の北ヨーロッパ(オランダ・ドイツ)の市民社会で日常化していた結婚前のカップルのラブレターのやりとりが、十六世紀にどのような過程を経て成立してきたのかを、宮廷風恋愛の市民化という視点から跡付けた。その際、都市が経済的に大きな変貌を遂げる十五世紀末から十六世紀にかけての時代資料のほかに、とりわけ都市を中心に広く流布した夥しい数の世俗歌・文学(笑話・謝肉祭劇など)などを一次文献として用いて、〈作法に叶った恋愛〉への憧れが、雅な宮廷作法の模倣という当時様々の場面で生じた現象の一つの重要なモメントとして、次第に都市の上・中層市民に浸透していく過程を辿った。中世の市民社会ではまだ作法(形式)を持たなかった自然現象としての恋愛が、この頃までには宮廷風作法を身にまとうことによって文化現象となり、女性崇拝的な要素を組み込んで、恋人の窓辺でのセレナードなど雅な求愛作法が大流行したこと、ラブレターもこの系譜に位置することが、いくつかの資料から裏づけられた。かつての研究は、この時代の市民の娘たちの生活を閉鎖的なものと考えており、軽率な娘たちを歌う多くの世俗歌の存在は、閉塞的現実に対する一種の憂さ晴らしと見なしていた。しかし、十六世紀初頭に流行した世俗歌には明らかにそれまでとは異なる娘たちが歌われており、ここにはある程度まで、当時の市民社会の経済基盤の変動と構造転換がもたらした不安定な世相が映し出されていると結論した。更に、この作法に叶った恋愛(求愛)が、混乱した世紀の経過する中で次第に結婚をめざす恋愛へと方向づけられていく様子を、時代資料と世俗歌の変遷の中に辿った。また、この流れが、ヴェヌスやアモルなどという人文主義的異教的表象の浸透・変容過程とも密接に関わっていることも指摘した。
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