十七世紀の「ラブレターと女性」を論じる場合、これまではまずフランス宮廷文化と関連する文学現象として捉えられてきた。この世紀にはラブレターを含む多くの書簡マニュアルが出版されているが、女性が書いた(とされる)手紙はこの世紀半ばごろから次第に注目されるようになり、そこでは恋に苦しむ女性の姿が浮き彫りにされている。これは中世以来の宮廷風恋愛の系譜に属するこれまでの恋愛文学とは異なる新しい現象で、女性の受動性を強調し誘惑されて捨てられる女性像を好む十八世紀市民文学の先駆と見ることができる。しかし恋愛を最初から結婚の枠外に位置づける点で、宮廷的性格をまだ色濃く残している。本研究はこのように把握されたフランスの文学現象を、同時代のオランダで流行した「ラブレターと女性」を扱う風俗画と対照させて論じ、これまでしましば言及されてきた前者の後者に対する影響力をかなり小さく限定すると同時に、後者の絵画現象の背後にある都市中産市民社会で恋愛が持っていた制度内的意味、つまり結婚にいたる過程としての恋愛という考え方と、若い娘に対する社会的まなざしの市民的特徴を浮かび上がらせた。 さらに、このオランダ的恋愛観を近代以降広くヨーロッパに定着した市民的恋愛観の原型と見なし、それが十五世紀末から宗教改革運動を経て都市文化の中に次第に生成していく過程を、中世から北ヨーロッパに知られる<毀れ瓶>の隠喩の意味変遷に注目して文化史的に考察した。その結果、中世において処女性喪失と人間一般の脆さという二つの意味を担っていたこの隠喩が、十七世紀には前者の意味に収斂していくこと、恋する娘にモラルを説き処女性を管理する社会的姿勢が強化され、若い娘が市民モラルを象徴する存在となり始めることを種々の資料から明らかにした。
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