この研究ではアイスキュロスの悲劇における複合語による比喩を取り扱った。彼は悲劇がディテュランボスに始まり、演劇として独立したジャンルに発達してゆく初期の段階に活躍した詩人であるために、劇を創作しながら演出上の試みもさまざまに行っている。彼は装置や衣装などの舞台効果に必要な道具も考案しているが、言語表現の上で彼が試みた工夫はさらに重要である。舞台の上で行われる演技や演出は視覚的に確認できるが、それは一瞬の出来事であり同時代人の証言によらねば概要を想像することすら不可能である。それとは反対に言語による表現は、それこそが劇詩人の本領であり、テクストを厳密に読むことによってそれを確認することが可能である。比喩表現や文体論の研究はその重要な手がかりとなり、アイスキュロスの特質はこの方法によって真に評価することができる。 今回のテーマである複合語の形容語句の研究はこの意味で重要であり、その成果の一端を第五章の語彙のリストに示してある。その中でも顕著な表現例としては、凱旋した王アガメムノーンを暗殺する王妃クリュタイメーストラーは「思い切った口を利く」(thrasy-stomos)「大胆きわまる」(panto-tolmos)女として描かれている。 複合語の個々の例を調べていけば興味ある表現の例証は尽きないが、ここで結論できるのはこの一見ぎこちない形容語句の中にアイスキュロスが豊かな表現方法を見出していたことである。これは彼の作品を理解し翻訳する時に心すべき大事な点であって、簡単に「大仰で難解」な表現と片付けるべきではない。この言葉の奥に詩人が表現しようとした比喩的な意図を深く求めながら丁寧に慎重に訳し分ける必要がある。今回の報告では研究成果の一部を示すに止まったが、資料は豊富に採集してあるので、比喩と形容語句の研究を今後さらに充実させて発表したい。
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