ローマ最大の哲学者キケローの哲学的偉大さと決定的特質は、彼の果たした政治との密接な連結による。哲学者がどんなに哲学と政治をつなげても、いわば非政治的・超政治としての政治哲学を作ったにすぎない。これに対して、キケローは先ず以て国家の保持そして国家の現状の救済を目指した。ここを巡っての彼の政治行動は、おそらくヨーロッパの哲学者中唯一人のものと称することができるであろう。しかもキケローは政治家の現実的行動やそれに関わる大所高所からの熟考としての哲学に終結したのではない。政治家キケローは政治哲学者であると同時に、それ以上に純粋なる哲学者であった。彼によってはじめて本格的活総合的にギリシア哲学そしてヘレニズムの諸哲学派が追求されたと言ってよい。国家のために公的につくすことと学のために深く身を沈めること、両者はキケローの人格と哲学と人間愛を形造る両輪であった。 キケローのギリシア哲学の研究がもし存在しなかったならば、ヨーロッパにはヘレニズム期の学派たるストア派、エピクロス派、ペリパトス派、アカデミア派の論理学、倫理学そして自然学という哲学体系は極めて希薄にしか伝わらなかったと言うべきである。キケローは哲学をローマ国政の守護へ縮小し、政治哲学化したのではない。哲学のもつ本来のギリシア精神すなわち原理省察の深さを政治論の根幹としたのである。キケローの政治哲学は近世・近代の諸政治哲学を踏み越えた視界をもっている。キケローにはヘーゲルのゲルマン・ドイツ国学の顕揚、エンゲルスの階級国家の強調、ルソーの契約国家の主張、ホッブスの弱者の連帯国家の所説、更にM.ウェールーの官僚支配国家の剔抉が陥らざるを得なかった一面性を突く実質性が貫かれていた。キケローによってこそ私と公が力強く見据えられた。
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