哲学者のなかで哲学と政治(の現実活動)が共存した唯一の人物がキケローであった。しかも政治家キケローはギリシア哲学の業績と全面的に対話し対決し、それをローマに移植したヨーロッパ精神史上類を見ない偉業を達成した。ヨーロッパ文化の屋台骨は哲学であり、哲学はギリシア人の手で形を探った。このギリシア的精神性を継承し、ギリシア哲学をラテン語の表現世界に「招き入れ」、ギリシア人の原理的思索を多彩な人間的関心と結合させ一層具体化したのがキケローである。このキケローはローマ共和政をプラトンのイデア主義で護らんと生涯努めたのである。 私はローマ最大の哲学者、教養の奇蹟たるキケローを哲学省察・研究と政治行動から細やかに捉えんとした。およそ入手可能な欧米のキケロー文献をそろえ、繙き、かつキケローのラテン語原典を精読した。キケローはローマ共和政を切り崩せんとする専政支配の傾動と渾身の力をふるって対決した。カティリーナ、カエサルそしてアントニウスへの政治哲学的高みからの闘いは、キケローの哲学の全展開に波及している。政治からのがれず、ローマの共和政をどこまでも死守せんと、キケローはギリシア哲学を学んだと言ってよい。彼は書斎派ではなかった。 このキケローは、哲学史上はじめて哲学と弁論(修辞)との結合を目指し、かつこの決意を実現できた偉人である。プラトンのごとく、哲学を弁論と分断させず、真を語ることと説得力を以て語ることを相即させた。私はこのところを数学の研究文献を用いて、細やかに追った。 更にキケローの歴史的感性(史眼)は深く透徹している。「キケローと歴史」という設問も立てて、私は掘り進んだのである。
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