ローマ共和政期最大の哲学者キケローは同時にローマ政治史上最大の哲学的洞察力を持った政治家である。彼において哲学は政治に強く関心付けられることによって現実性を帯び、政治は哲学に問いかけることによって、理想的高みに結びつけられた。このところを私はキケローの著作をできるだけ細やかに読むことによって包括的に捉えんとした。そして入手可能な研究文献とも対決的対話をおこなった。キケローはローマ全体と通して最も学究的な哲学者であり、彼はソクラテス、プラトン、アリストテレスを尊拝し、この三者の哲学的精神をその差異性を十分踏まえて把握したのは驚くべきである。このところも入念に私は追考した。更にキケローはヘレニズム・ローマ期の哲学学派(ストア、エピクロス、アカデメイカ、ペリパストの四学派)にも誠実な平衡感覚を発揮して向かったのである。こうしたキケローの広い哲学的展望は、よく折衷主義と貶視されるが、決してそうではない。キケローは徹底的に他者の思想を吟味し、不十分なところ、承認し継承すべきところ、一面において真理性を持っているところをきちんと取り出しているのである。キケローのこの姿勢こそ哲学の本流たるべしと私は研究論文で明らかにした。政治家と哲学者の真の統合は西洋哲学史上一人キケローにのみ認められる。この方向が見事に華開き深まったのが、彼における哲学と修辞(弁論術)との「聖婚」である。キケローの『弁論家について』はことば的真理がことばによる世界の作品化と相乗し相即していることを高らかに唱ったものである。この方途のキケロー的独創を原典と研究文献をじっくり読み辿ったことも私の研究の成果である。教養の奇蹟、ヨーロッパヒューマニズムの真の定礎者、格調と優美の表現者キケローを私は日本ではじめて明らかにした。
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