マイノリティ、とりわけ先住民族の保護、特に言語と伝統的生活様式の保存はいかなる形で実現されうるのか、そしてその際、近現代の個人主義に立脚したリベラルな正義論はどのように機能できるのか、これが本研究の課題である。しかし、一口にマイノリティ、特に先住民族の文化の保護と言っても、その対象や方法が十分に確立しているわけではない。まず言語や伝統的生活様式は基本的には無形の慣行的な行動パタンである。その保護には、現実には支援財のあり方が問題となるし、その文化的な効果も重要な問題である。また伝統的生活様式は地域的あるいは民族的な多様性を有しており、特に例えばアイヌ民族の場合には、居住地域に応じて大きな相異も存在している。それ故、それらの支援の場合にはこのような多様性をも考慮に入れる必要がある。次に一定の支援財の分配に関してはその規準や方法が大きな問題となる。特に先住民族の場合には、誰のいかなる活動可能性を対象として、いかに支援財を分配するべきなのかといった問題に関して一般的な規準があるわけではない。このような問題のために理論的に有用なのはリベラルな正義論であろうと思われるが、そこで必要な修正についてはより注意が必要である。このような問題状況を承けて、本研究では、現代のリベラルな正義論と先住民族の文化への権利の保護、とりわけ言語や生活様式の支援の可能性と条件についての一般的な判断枠組みを得るべく考察を試みる。そこでは、文化への権利の実現方途を考察するために、ここではまず権利の概念の理念的基礎を明らかにし、そこで重要視される公正の理念がいかなる目的に出るものであるかを自立への均しいアクセスの観念によって確かめ、このアクセスの観念との関係において公正の理念の内容を明確化し、そのような公正の理念がいかなるチャンネルを通じて社会に受容されることになるかを見定めて、その具体的実現の方途として重要な解釈的対話の位置づけを図りつつ、文化への権利の実現の可能性についての考察を行った。
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