西洋近代法には強いジェンダー・バイアスが内在している。啓蒙期知識人は、女性は本性的に性的衝動をもたず、貞淑で母性に満ちた存在と考え、他方、男性は家長として家を率い、公的領域における能動的役割を果たすものとして、男女の性役割・性別本性を定義した。このような啓蒙期知識人の議論は、18世紀末に急速に普及した読書協会をつうじて、市民たちに共有されていく。読書協会は、女性を排除して成立した市民男性の<公共圏>に他ならなかった。啓蒙期に新たに定式化された性別本性論からみると、<未婚の母>と<婚外子>の存在は、きわめてアンビヴァレントなものとなる。プロイセン一般ラント法は、<未婚の母>を男性にだまされた無垢な被害者とみなし、母子に一定の特権を認めた。これに対して、フランス民法典は、<未婚の母>とその子を父の市民家族をスキャンダルに巻き込む脅威であるとみなして、近世以来認められていた請求権を否定した。19世紀以降、プロイセン一般ラント法の改正作業が進められるが、その過程で、<未婚の母>は一律に<性的不品行>な女性とみなされるようになる。1854年法で導入された<不貞の抗弁>は、母の不品行の責任を子に転嫁するものであったが、1896年のドイツ民法典に継承された。ドイツ民法典は、<支払の父>を定めて、父子の法的血族関係を否定し、未婚の母には親権を否定した。このようなドイツ民法典の家父長制的性格は、当時からフェミニズムによって批判されていたが、ワイマール憲法がはじめて、婚外子の保護を明言した。これをもとに婚外子法改革の諸案が出され、ナチス期に継承される。その間、しだいに、国家的監督のもと婚外子に対する父の責任を強化する論調が強まり、未婚の母にも母性があるという認識が根付いていく。それは、男女の性別役割分担を国家が再確認する過程でもあった。
|