本年度は最終年度であり、研究の取り纏めを行った。今年度の研究内容は主として、クライナ・セルビア人、ボスニア・セルビア人、コソヴォ・セルビア人の「民族浄化」との関わり、セルビア共和国の政治における彼らの位置について考察を行った。概要は以下の通りである。 旧ユーゴスラヴィア紛争において最も頻度の高い言説となった「民族浄化」については(1)実態としての「民族浄化」と、(2)イデオロギーとしての「民族浄化」の二つの側面から捉える必要ある。 (1)については、「民族浄化」を「一つの地域を支配している民族的グループが、他の民族の構成員を抹殺する」と理解し、そこで行われる殺人やレイプ、裁判なしの処刑、強制移住、宗教施設の破壊についてその実態と意味を、紛争の性格との関係で把握することが最も大切である。特に民族の差異が憎悪と紛争の根本にあるのではなく、体制転換に伴う社会的安全感の喪失が、民族への帰属を醸成していった点、つまり結果としての民族浄化、結果としての民族紛争に注意する必要がある。体制転換の政治経済学の必要性を痛感している。 (2)については、紛争への国際社会の関わり方における「民族浄化」のイデオロギー性である。セルビア非難としての「民族浄化」のセルビアへの一方的適用、ヒトラーの想起とミロシェヴィッチへの宥和政策批判としての「民族浄化」の必要性、人道的介入の構成要件としての「民族浄化」による残虐性の立証、といったような目的のために大国が「民族浄化」を政治目的的に使い分けてきたことなどを指摘したい。こうして、「民族浄化」の実態とイデオロギー性の統合が、この研究の最後の課題となったのである。
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