昭和恐慌期の浜口雄幸の国家構想と政治指導の概略の検討を終えるとともにと、永田鉄山の構想と政治行動についても本格的に検討に開始した。その結果、浜口について、第一に、対中国政策における、内政不干渉政策は、中国中央部の市場的価値の重視、日中の工業力格差への認識を背景とするもので、中国の工業化による市場拡大、そのための中国国内の秩序の安定化を第一義的に重視するものであることが明らかとなった。したがって国民党の満蒙を含めた中国統一を認めようとしたのであり、満蒙権益を相対化していく方向を可能とするものであった。第2に、浜口内閣の金解禁、産業合理化、財政緊縮政策も、その対中国政策と深く連動するものであることが明らかとなった。永田については、大正期から昭和初期にかけての、彼の総力戦体制論の全体像をほぼ描きえた。しかし、初期にはそれを政党政治下で考えていたのが、なぜ国家改造に転換していくのかがなお明らかでなく、その問題の解明が次年度よりの課題である。また満州事変前後にどのようにして、そのグループが軍中央を掌握していくのか、その具体的プロセスの把握が、もう一つの課題である。
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