本研究にあたり、比較研究の基礎となる日本の現状の先行研究が無に等しいことに直面した。そこで日本における女性の政治的リクルートの歴史と現状を把握するべく、女性国会議員およびOGへの面接調査と政党の機関誌紙の調査を行った。1980年代後半の「マドンナ・ブーム」に関して、社会党の従来の労組兼務議員のリクルートが困難になったことから、女性候補が注目された点を解明した。しかし党内で女性候補抜擢が組織的になったのではなく、マスメディアによる「土井ブーム」という風が女性候補を後押ししたのだった。が、このブームは、「女性にとって政治は遠い」という既成概念を崩し、その後の女性候補の進出に資した。また同時期、共産党・公明堂も女性候補抜擢に着手していた。 さらに、1999年4月の統一地方選挙を中心に、女性の進出の背景について全国調査を行った。全国レベルで、無党派を中心とした「女性を議会へ送る」市民活動が活発化している。「ネット」運動も女性議員を増やしている。既成政党については、特に公明・共産両党が女性候補擁立に熱心であるが、党内部での候補者選抜過程は外部からは捉えがたい。 アメリカの選挙は候補者中心であり、政党は女性候補に対して特別の後援を行っていないが、かってのように女性の立候補(予備選挙における選抜)を妨害することはなくなった。英国では若い女性票が政権の帰趨を制するという見通しの元、労働党が候補者選抜過程で女性比率を維持する仕組みを制度化した。ドイツでは緑の党による候補の女性を半数にする動きが、社民党を刺激し、後者の40%が女性というクウォータを実現させた。フランスでは厚い現職の壁に対して、新設の欧州議会や地域圏議会に女性が進出しており、社会党が熱心に女性候補を選抜している。2000年制定のパリテ法(男女衡平法)により、2001年統一地方選挙にむけ、各党が女性候補発掘に追われている。
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