タイの政治は1990年代に民主化が進んだ。92年5月事件と97年憲法がもっとも重要な出来事である。この民主化について虚像に惑わされず、実像に迫ろうと試みた。 研究者は92年5月事件について誰が参加したのかに目を向け、なぜ参加したのかを見過ごしてきた。大規模集会を可能にしたのはチャムローンであった。民主化にとってこの事件の意義は、その彼が動員戦術の成功ゆえに危険視され、政界を逐われたことである。政治は院外政治ではなく国会中心に行われるべきことが確認された。 もう1つの意義はマス・メディアによって中間層が5月事件の主役に祭り上げられたことである。中間層は政治への発言力を強め、政治改革を要求するようになる。政治改革論は下院議員批判に起因していた。議院内閣制を採用しながら、下院議員の閣僚就任を禁止しようとする主張も行われた。改革論が目指したのは政治の能率、安定、倫理であった。 こうした目的を念頭において97年憲法が制定された。この憲法は民主的と喧伝されているものの、実際にはさほど民主的ではない。たとえば、大卒者は総人口の5%にも満たないにもかかわらず、国会議員や閣僚には大卒以上の学歴が必要とされた。それでも、この憲法は民主化に寄与するところがあった。それは議会政治に不満を抱き、テクノクラート支配に郷愁を抱く人々を慰撫することにより、議会政治の堅持を可能にしたからである。 結局のところ、90年代の民主化にとっては、推進派勢力の活躍よりも、保守派勢力を慰撫して穏健な議会政治を定着させたことが重要であったといえる。
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