本課題において陸奥宗光が著した『蹇蹇録』の天津条約に関する記述について批判的検討を行った。 その作業として二つのアプローチを用いた。一つは、日本・中国・韓国・アメリカなどでの研究が天津条約をどのように論究し評価しているかという学説史的検討である。第二のものは、日本・中国・イギリス・フランス・アメリカなどの外交文書や新聞あるいは著作に示された天津条約に関する同時代的評価に基づく検討である。 以上のような手法に基づく作業の結果、以下のような知見を得ることができた。(1)先行研究の、天津条約に関する四つの視点は、研究としての実証性に乏しく過剰な価値判断が横溢し視野が狭い。(2)このような先行研究の天津条約評価は同時代的評価にあってマージナルな批評として既に存在していたが、これは天津条約に関する同時代の中核的評価を全く無視していることを意味する。(3)こうした先行研究の天津条約評価に関する問題点は、通説的な近代日本外交像の枠組みそのものが生み出している。(4)この枠組みの下で提示されてきた「陸奥外交」像は『蹇蹇録』の記述を批判的に検討することなしに組み立てられたものである。『蹇蹇録』に見る陸奥の天津条約記述は、法解釈上の観点を前面に押し出すことで天津条約の政治的意義を意図的に矮小化している。これは、陸奥が自己の外交指導の失敗を覆い隠す必要性からそのような操作を行ったと考えることができる。(1)〜(4)の知見の結果、『蹇蹇録』を鵜呑みにしてその記述に基づき組み立てられた「陸奥外交」像とは実証面において大きな問題を抱えていることが明らかになった。
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