日本における政党研究は未だ発展途上段階にあると言ってよい。しかもその研究も二大政党・一党優位政党制に関心が向けられ、多党制とりわけ「第三党」と呼ばれる小政党は無視されてきた。本研究はこれまで政治主体としての分析がなされてこなかった「第三党」に焦点を当て、歴史的分析・事例分析の方法を活用し、その政治的自律性・キャステイング・ヴォートに代表される政治行動の分析を行い、各時代につき次の成果を得た。 1.明治期:日本の「第三党」はまず議会制度に対抗するために組織され、「民党」と対決した「吏党」と呼ばれる存在であった。しかし「民党」の成長と官僚政治の後退にともない、「吏党」の政治活動は窮地に追い込まれる。「吏党」は無視してきた議会政治のルールへの適応を迫られ、キャステイング・ヴォートの利用に目を向け、「三党鼎立論」(山県有朋)と呼ばれる二大政党の間隙を突く政治行動をとるに至る。 2.大正期:政党政治の発展の結果、明治期の「吏党」は衰退する。しかし「第三党」の系譜は形を変えて存続する。すなわち弁護士・元司法官という法曹資格を有する専門家(法曹政治家)が大政党を忌避し、小政党を組織した。特に中正会(1913〜16年)は、専門知識を議会の立法過程で発揮し少数派でありながら、単純なキャスティング・ヴォートの有無とは無関係に政治的影響力を示すことが多かった。 3.昭和戦前期:男子普通選挙制度の導入に伴い、既成二大政党を支持しない大衆が政治参加するに至った。既成政党への不満の受け皿となり、選挙の結果「第三党」の地位を得た小政党のうち明政会(1928〜30年)・昭和会(1935〜37年)を分析した。その結果「第三党」の掲げる新しい政治理念とキャステイング・ヴォート(明政会)・議会慣行の尊重(昭和会)という古い政治技術が両立し得ないジレンマを明らかにした。
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