本研究の特徴は、ニューディール期の経済思想を、世紀転換期から第2次大戦期におけるアメリカ経済思想全体の展開過程と絡めて、経済学者の思想と理論を位置づけていこうとするところに有った。経済学者たち、特に、J.R.コモンズ、A.H.ハンセン、R.G.タグウェルの著書や論文、さらに手紙などを元に再検討して得られた新しい知見は、以下のとおりである。 1.コモンズは、制度経済学の三人の創始者として知られてきたが、むしろ実際には「福祉国家制度、特に杜会保障の制度設計者」であり、いわゆる「新自由主義者」として、自由の拡大・充実を実現するための政府の役割を重視し、折からのレーガル・リアリズム運動と連携したプラグマティズムの思想に基づく「法と経済学」を提唱した(経済学史学会66大会:14.10.26で報告)。 2.ヴェブレンとコモンズとの関係は、「自然淘汰と人為的淘汰」のいずれかをより重視するか、という点の違いであって、ともに基本的な思想は「自由主義」である。改良運動に対するスタンスは、ヴェブレンは消極的に、コモンズは積極的であっただけである。 3.ハンセンは、ハーヴァード大学に移り、ケインズの「一般理論」に接して新古典派からケインジアンに「転向した」という通説は皮相な理解に留まっており、そもそもハンセンが新古典派経済学者であったという理解が問題をはらんでいる。ハンセンがコモンズ主催の研究会のメンバーであったことを示す手紙が示すように、彼はそもそも、つまりケインズよりも早い時期からすでにケインズと同じ「新自由主義者」であったのである。 4.ニューディール、とくに1936年までの前期ニューディールを特徴付ける「計画化」の思想は、必ずしも社会主義的な政府による「生産の管理」であると理解されてはならない。マクロの統計資料を整備し、国土(資源)利用の将来像(可能性)を政府主導の下に検討しようとする試みも、すべて「計画化planning」と呼ばれていた。野放図な自由主義から新自由主義、つまり「自由を確保・保障するための、政府による自由の規制」と「制度的規制=慣習からの解放」とが、ニューディールの本質であったと見るべきであろう。
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