1997年のアジア通貨危機により深刻な打撃を受けたタイ、マレーシア、インドネシア、韓国の経済は1999年から2000年にかけて急速なV字型の回復局面を示したが、2000年末より回復力が弱まり、構造改革の後退が見られる。IMFの支援を得て構造改革を実施したタイ、インドネシア、韓国では2001年に入り、国内の景気回復の梃子入れをより重視するスタンスに移った。タイでは新政権が誕生し、韓国、インドネシアでは国内で現政権への批判が強まっている。IMF主導の構造改革は今後その進展過程で国内的な政治力学の波に洗われるであろう。IMFのコンディショナリティが国内の政治経済の力学を通してしか実施されず、この実施過程で構造改革が多くの隘路に遭遇することは、フィリピンの経験が示すところである。本研究では報告者によるフィリピン経済再建過程におけるIMF監視政策の政治経済学的研究を踏まえて、今回のアジア経済危機におけるIMF監視政策の有効性を分析した。本研究では第1に、1980年代以降のフィリピンの経済再建過程におけるIMF監視政策、特に金融システムにおけるプルーデンシャル規制や中銀の改革が今回のアジア経済危機のフィリピン経済への打撃を比較的軽微にしたこと、しかしその裏面としてIMFの長期に及ぶ緊縮政策がフィリピンの急速な経済成長の足枷として機能したことを示した。第2にフィリピンが10年に及ぶ経済停滞を経験せざるをえなかったのは、IMFの構造改革路線と国内政治経済力学の衝突、及び対外債務危機を契機としたマルコス政権の崩壊、アキノ政権の誕生という過程が内包していた政治経済的な流動性・不安定性が大きな要因であり、IMFの監視政策が密接に関わっている点を指摘した。アジア経済危機の回復においてもIMFのコンディショナリティと被支援国固有の政治経済的脈絡との関係が今後一層重要となることを示した。
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