研究期間の初年度(平成11年度)は研究史のサーベイに努めるとともに資料収集を開始し、第2年度(平成12年度)には本格的資料調査・分析を行いつつ、国内外で研究発表を行い、最終年度(平成13年度)においては3年分の資料調査・分析をもとに研究成果とりまとめた。 すなわち、日本製鋼所(日英合弁で戦前日本最大の民間兵器鉄鋼会社)については、従来からの筆者の研究成果をもふまえて、日本製鋼所と英国側株主との関係をとくに「コーポレート・ガヴァナンス」の視点からまとめた(「研究発表」欄[図書]参照)。結論的には次の4点を強調した。(1)日本製鋼所「創業期」(1907-14年)においては、英国側株主(アームストロング社及びヴィッカーズ社)は日本製鋼所のトップマネジメントに積極的に関与していた事実。(2)第1次大戦が日本製鋼所と英国側株主との関係における一大転換点となったこと(日本製鋼所の発展と英国側の関与後退)。(3)大戦直後の日本製鋼所による輪西製鉄所合併を通じて日本側(とくに三井財閥)の経営支配権が確立したこと。さらに「ワシントン軍縮」により日本製鋼所における英日の協同関係は不安定になり、英国側株主は関与回復と日本からの撤退模索の両面追求を試みたが必ずしも功を奏したとは言えなかったこと。(4)海軍出身のテクノクラートが日本製鋼所重役会において重要な役割を果たしたこと。 さらに、奈倉『兵器鉄鋼会社の日英関係史』(日本経済評論社、1998年)に寄せられた書評に答えつつ、その後明らかになった事実も明示しながら、「第1次大戦前後の日本製鋼所と日英関係」に関する補足的論文をまとめた(「研究発表」欄[雑誌論文]参照)。内容的には、日本製鋼所重役会と英国側重役「代理人」の役割、日本製鋼所による「金剛」コミッション取得の意義「14インチ砲」受注・製造をめぐる分担関係、「技術移転」の基本的成就と問題点、輪西製鉄所合併をめぐる論点などについて重点的に検討した。 平成12・13年度に資料収集につとめた日英合弁の日本爆薬製造会社(1905年設立、18年日本海軍が買収して海軍火薬廠となる)については、英国側の会社設立に関わる意図・動機に関する具体的資料が得られず、成果とりまとめには至らず、他の合弁会社とともに今後の課題として残された。
|