本研究は「工業化」「資本主義化」の進展する近・現代日本において、在来的な農業社会がどのような対応を示し、それが近・現代日本の経済構造にどのような特色を賦与したのかを、おもに農村-都市間の労働移動を検討することを通じて明らかにすることを目的としている。継続していた喜多方町役場史料に含まれる人口移動書類に基づく人口移動のデータベース化作業は、1880年代〜1955年間の転出者データベースについては、一村分(慶徳村)についてほぼ完成した。戸数割等、転出者の出身母体のデータ入力も、進みつつあり、また、新たに収集した人口動態資料(出生・婚姻等に関する記録)のデータベース化にも着手し、完成に近づいている。もう一村分(関柴村)に関しても、同様のデータベースの作成が始まり、かつ、近隣の町場地域(喜多方町)に関する役場史料の収集もほぼ終わった。 なお、先行して着手していた戦後10年間に移動データの取りまとめは、昨年度から始めた転入者データの入力作業も完成し、転出・転入データと農家一斉調査の個票、さらには出生・死亡のデータとの突き合わせ作業も進行している。前半期-戦時期から戦後復興期-については、データ分析も終了した。その成果は本年5月頃に出版される予定である。そこでは、農村人口の増大期と特徴付けられるこの時期についても、46年以降はすでに大幅な農村人口の純流出がみられたこと、それは農村への流入人口が、非農家世帯として農村内に位置付けられ、それが人口の流動性を高めていたためであったことが明らかとなった。その背後には、不足していた成年男子のみを農家世帯内に定着させようとする農家の行動があり、それは、戦前来の農家世帯の再生産戦略が、この時期にも実現していたことを示すものであったと考えられる。
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