研究概要 |
第2次世界大戦前、戦中に、中国の上海、青島、金州において、大規模な紡績工場経営を行っていた内外綿会社(1948年年清算会社となる)の大阪本社で作成され、戦後岐阜県海津郡の駒野町の同社駒野工場に所蔵されていた、「内外綿資料」の整理を推進し、コンピュータへ「各工場計算簿」、「株主名簿」、数値のインプット、経営分析のための加工をおこなった。そして、次の事実を発見をした。 1,内外綿は、製品市場機会に積極的に反応した。綿業のライフサイクルの、世界的な進行に応じて、先駆的に中国に進出した。中国に於ける戦略は積極的に展開され、新地域への進出と、製品の高付加価値化を推進した。それは、大きい成果を生み、限界的な企業から日本のビッグビジネスへ成長した。 2,その間、内外綿は、技術面、製品面において、中国綿業の最先端に位置した。そして、中国綿業へ工場の直接管理を導入し、新技術が次々に導入されるとともに、製品の高付加価値化を先導した。その間、中国の綿製品の輸入代替と、さらには、輸出産業化への前に大きい役割を果した。 3,しかし、問題は工場の外の政治的不安定からもたらされた。そのために、内外綿の業績は断続的に急落し、不安定であった。その問題は、ますます深刻になっていった。民族紡績との製品市場に於ける棲み分けはその一つの対策ではあったが、ほとんど解決策とはならなかった。
|