研究代表者は、長崎市や博多遺跡群などで出土した中、近世の出土銭貨を実見し、九州地域での出土例が近年増加してきている加治木洪武通寳・叶手元祐通寳・慶長通寳は17世紀前半、元通通寳・長崎元豊通寳は17世紀中期に当地域で流通していたことを出土層位から確認した。加治木洪武通寳・叶手元祐通寳・元通通寳については、現在までの出土地点の分布状況から見て、その鋳造地は九州であると推定できる。また、沖縄県浦添市当山東原遺跡で、沖縄では初めてとなる洪武通寳鋳型の出土を確認した。銭貨に文字を有しない無文銭も含めこれらの銭貨について、岩手県立博物館赤沼英男・咲山まどか氏の協力を得て、ICP-AES法による銭貨地金の分析を実施した。さらに赤沼氏は九州出土銭貨と比較のため、埋納時期が特定できる福井県朝倉氏遺跡出土一括埋納銭の金属組成分析を実施し、中世末に流通していた銭貨地金の分類を行い、基礎データ数を増やした。中島圭一氏は、2年間の研究成果を踏まえて中世の銭貨流通全体に再検討を加え、「貨幣から見た『日本』-中世貨幣成立まで-」にまとめた。そこでは、それまでひとしなみに扱われてきた多様な渡来銭が、一つ一つ識別・区別され始める15世紀半ばに中世貨幣システム解体の始点を見出したが、熊本における史料調査・現地調査で、14世紀の地鎮儀礼に特定銭種を選んで用いている事例を発見した。そこで、口頭報告「中世貨幣システムにおける模鋳銭の位置」ではこれを先駆的事例として取り上げ、銭貨を呪術的に使用する際の銘文への注目が、銭種区別が広がる起源であった可能性を指摘した。
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