研究代表者は、中世都市「博多」における個別発見貨の集成から、一括出土銭の銭種構成と概ね一致するものの、大型の銭貨や無文銭が出土しているという特徴を明らかにした。無文銭については、南部九州と沖縄以外でも都市部での発掘資料が増加しており、中世末期に広汎にそれらが流通していた可能性が浮上した。近世都市「長崎」の遺跡から発掘される銭貨には、わが国で鋳造されたと考えられている数種の銭貨群(長崎貿易銭・叶手元祐通寶・元通通寶など)が存在し、鹿児島で鋳造された加治木銭以外は、当地で鋳造された可能性も高いと考えられる。銭貨生産に関連する遺物として、沖縄県浦添市で洪武通寶の鋳型を一点確認することができた。 すべて銭貨が一文銭である中世銭貨体制の中で、人々が私鋳銭をどのように識別していたのか、どの程度の価値を認めていたかについて、中島圭一氏は中世人の立場にたって考察し、中世の貨幣流通における私鋳銭の位置づけをおこなった。そして、14世紀後半以降、中世人は銭貨に刻まれた文字に注目するにいたったことを明らかにした。地鎮遺構から出土する貨幣には、文字を選別して埋納したと推定できるものが存在し、考古資料からもこのことを裏付けることができた。 古田修久氏は、九州鋳造と言われている銭貨群について、古銭学的形態上の特長を明らかにし、その論拠となる文献についても考察を加えた。洪武通寶が薩摩国で広汎に流通していた新文献を発見した意味は大きい。分析化学の分野では赤沼英男氏が、通常の青銅銭である銅・錫・鉛の三合金系から、錫が減少し銅・鉛合金となり、ついには純銅系の銭貨が鋳造されるというプロセスを明らかにした。
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