報告者の全体的な研究課題は、日本において銀行合同が最も活発に展開された1920年代から敗戦までを対象に、銀行合同の実態的検討を行い、閉鎖的・分断的に描かれてきた従来の銀行合同像を修正することにある。具体的には、日銀アーカイブによる日銀史料の公開という新たな史料環境や国内外の研究動向を踏まえ、合同推進の媒介者的役割を果たした日本銀行の斡旋原理とその手法を、個々の合同ケースに基づいて検討することにより上記課題を果たすものである。以上のうち本科研費による研究の重点を次の仮説の実証的検討におき、包括的・総合的な検討を行った。 (1)銀行合同は、既存の競争関係を再編することであり、決して閉鎖的・分断的なものではない。むしろ特定の合同プロセスが他の合同プロセスと密接に関係して展開する広域的連関性をもったものであった。このため日銀の合同勧奨の基本的原則は、取引先銀行に対して公平性を維持することであり、換言すれば、都銀間や地銀間において合同条件やその他に関して競争者間のバランスを確保することであった。 (2)1940年頃から日銀は銀行合同に対して能動的・積極的となる。これに比較すれば1927年〜39年頃は受動的と言える。中央銀行が合同促進に乗り出すことにより、同行はインターバンク市場の再編成、換言すれば、地方と都市の金融市場の連関をどのように再編成するかという課題を抱え込んだ。しかしその方向性は一枚岩のように明確なものではなく、日銀金融統制力の強化、セントラルバンキング的志向、金融統制会的志向、反財閥・地銀育成の観点、ユニバーサルバンキング的志向、金融分業的志向などが入り混じった複雑なものてあった。この点で大蔵省との合同方針は必ずしも一致したものではなく、不断の調整が必要であった。 なお、研究成果報告書には下記「11.研究発表」のほかに、石川県、福井県、富山県、三重県、高知県の事例(「金融風土記」『日経金融新聞』平成11年、12年連載)および三重銀行・但馬銀行の事例(『地方金融史研究』31号)についての成果も参考として収録した。
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