研究概要 |
ニクソンの新連邦主義構想と補助金政策の歴史的評価は難しいけれど、客観的に見れば、ニクソン政権は、一般歳入分与制度の成立、州・地方政府に対する連邦規制の増大が示すように福祉国家的な連邦補助金拡大基調を基本的には容認した政権であったといえる。 国全体をおおう財政緊縮ムードのなかで連邦補助金の増大基調をはじめて逆転したのはカーター政権であった。この低下傾向を加速化し,定着させたのがレーガン政権であった。レーガン政権下の補助金改革の特徴は、「偉大な社会」期に創設された都市のインフラ投資、財政援助(一般歳入分与の廃止)、社会サービスに対する大胆な削減であった。 「アメリカの未来に投資する」必要性を強く訴えたクリントン政権下においてもこの都市プログラムに対する連邦補助金の縮小傾向は逆転しなかった。それは「財政赤字削減優先主義の政治」が都市プログラムの再生を不可能にしてしまったからである。同政権は、連邦政府、中心都市、郊外自治体の新しい政治的協調形態を形成するために柔軟性をもった都市補助金プログラムを創設しようとしたが、それは成功しなかった。同政権が実際に行ったのは、AFDCの廃止とそれに代わる「貧困家庭一時援助」(TANF)の創設に代表されるような、連邦政府から州政府への権限委譲であった。 ニクソン-レーガン-クリントン政権期における連邦補助金の趨勢を基本的に規定したものは、1970年代までの「安易な歳入調達の時代」から1982年以降の「財政拘束衣の時代」に大きく転換した「財政の枠組み」である。また、1979年末のボルカー・シフトを境にして拡張的レジームからインフレ抑制を基調とする縮小的レジームヘとマクロ経済政策のレジームが転換したことも同様に連邦補助金支出抑制の大きな原因となった。 以上の発見について、今後1年以内に論文として発表する予定である。
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