1930年代のニューディール期以来一貫して増大してきた、州・地方政府に対する連邦補助金は1970年代から今日までに、いくつかの重要な改革・再編を経験することになる。第1の重要な再編は、ニクソン政権期における歳入分与制度の成立である。第2の重要な改革・再編は、レーガン政権下で実行された連邦補助金の大胆な削減と補助金の統合である。第3の重要な再編は、クリントン政権下におけるAFDCの打ち切りとTANFへの転換であった。もちろん、以上の3つの改革・再編はアメリカ連邦補助金発展史におけるエポック・メーキングな出来事であるが、それらは補助金制度の枠内で孤立して生じたのではなく、アメリカの戦後政治経済の大きな変化のなかで生じた。 本報告は、その政治経済の変化を福祉国家システムの変化という視角から捉えている。それゆえ、補助金制度の改革の評価も戦後アメリカ福祉国軍システムの改革・再編という観点から行っている。このような観点こそが本報告の最大の特徴である。このような観点からすると、1960年代の「偉大な社会」はアメリカ福祉国家システムの進展として、そしてニクソンの新連邦主義はそれに対する批判として捉えることができる。しかし、ニクソン政権期における一般歳入分与制度の成立は、アメリカ福祉国家の縮小というよりは1つの発展として見なすほうがよい。それに対して、レーガンの補助金政策はアメリカ福祉国家の発展を正面から攻撃しようとするものであった。実際に、1981年OBRAはこのレーガンの望み(補助金の削減と統合)を一部実現させた。レーガンはその後項入分与制度を廃止するなど補助金の削減に成功したが、特定補助金の大幅削減や統合がその後繰り返されたわけではなかった。 クリントン政権下で成立した福祉改革法は、1935年社会保障法以来の伝統をもつ特定補助金であるAFDCに終止符を打ち、それに代えてTANFと呼ばれるブロック補助金を設けた。これは就労義務の強化や受給期間の制限など母子家庭を中心とした福祉受給者にとって厳しい内容となっていた。 以上見てきたような、80年代以降の一連の補助金改革の結果、大都市中心部と都市貧困者の抱える問題はいっそう悪化することになったし、このことは今後も続く可能性が高い。
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