本年は台湾税制の移転メカニズムについて調査研究をしたが資料不足、翻訳等の都合から研究途中である。台湾の税制の歴史は1910年にスタートした。当時台湾は日本の統治下であった。日本は日露戦争の処理後、政府の支出膨張のため、台湾に法人税の課税を実施した。さらに1921年には個人所得税を実施され、日本の税制が導入されていった。 しかし戦後、台湾は中華民国に還付され、当時の賦課徴収の根拠となっていた上記の台湾所得税令と台湾法人税令は廃止された。1950年台湾政府は「税制改革委員会」を組織し、税制改革の研究をしたという。その結果が台湾税制改革研究報告にまとめられたといえる。そこで考えられたのが台湾特有の戸税制度に他国から影響された分類所得税、総合所得税を組み合わせた三位一体制ハイブリッドであった。その後、戸税の推計課税にひきずられて総合所得税は本来の役割を果たさなくなった。そのため1956年台湾の所得税は単一所得税に移行した。ここでは経済発展の助長を所得税の基本原則としたが、その中で同年租税特別措置が導入され特別償却等が実施された。これは日本やアメリカにおける租税特別措置がハイブリッド化し影響したものと考えられる。 1963年には所得税を中心とする直接税体系をうち立てた。当時の所得税の課税範囲は、西ドイツに近いものであり、日本やアメリカとは異なっていた。しかし所得税総則第2節では「名詞定義」がされ、これは日本と同様であった。また青色申告制度も日本の制度を導入していた。同年、標準控除額が新設されたが、これはアメリカの制度を導入したものであった。居住者概念は日本、アメリカ、イギリス、フランス等から導入していた。台湾税制は、このようにハイブリッド化され創設され現在に至っている。
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