本研究で2年間に使用した標本は、自ら採集または協力者から入手した以下のものである:ナメクジウオBranchiostoma belcheriの伊勢湾湾口部(遠州灘)、紀伊半島五ケ所湾、瀬戸内海(西淡町)、九州天草、チンタオ、およびシャーメン(アモイ)の各地産標本;B.malayanumのタイ国バンコク湾とプーケット産標本;オナガナメクジウオ(外群として使用)の沖縄県黒島産標本;カタナメクジウオ(同)の台湾南湾産標本。さらに大西洋産のB.lanceoltumとB.floridaeについてはDDBJからデータを入手した。 (1)遠州灘、瀬戸内海および天草の各個体群のアロザイム分析の結果、調査した17のうち5遺伝子座において、各個体群間の対立遺伝子頻度に統計的有意差が認められたが、全遺伝子座をまとめた時のFst値が非常に小さいことから、個体群間にはかなりの遺伝的交流があることが推測された。 (2)冒頭にあげたすべての個体群に対する、ミトコンドリアゲノム上のチトクロムC酸化酵素サブユニットI(COI)と16SリボソームRNAの遺伝子の塩基配列データと形態形質の解析から、おもに以下のことが判った。 (a)形態からみると日本国内とチンタオのナメクジウオは酷似する一方、両者はシャーメンのものとは明瞭な差異が認められた。ところが、分子的にはこれら3個体群間に有意な差が全く検出されなかった。 (b)COIのデータを用いて、Branchiostoma属のアジア産種と大西洋産種との遺伝距離は0.222と計算された。この値は、哺乳類のサル目とネズミ目の間で同様に計算して得られた値(0.278)にほぼ匹敵する。ここから、アジア産種と大西洋産種が分化したのは、今から約1億1000万年前と推算された。
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