前年度に引き続き、煎茶席遺構として、彫刻家朝倉文夫が昭和3年から10年にかけて設計したアトリエ付きの自邸(現朝倉彫塑館)の1階「茶室」・2階「素心の間・次の間」・3階「朝陽の間・次の間」を実測調査し、その実測図を作成するとともに、平面計画・寸法計画・意匠計画を分析した。また、山口県萩市の旧毛利家別邸花江御殿(現長屋家)・花江茶亭(以上安政初頃)の現地調査および写真撮影を行なった。 また、近代和風建築遺構として、前年度に引き続き、岩手県水沢市の高橋萬右衛門家住宅(明治21年建設)を実測調査し、その実測図を作成するとともに、新たに新潟県横越村の旧伊藤家住宅(現北方文化博物館、明治22年)、山形県柏倉家蔵座敷(明治41年)・細谷家蔵座敷(明治28年頃)・鈴木家蔵座敷(明治30年頃)・横尾家離れ座敷(明治30年頃)の現地調査および写真撮影を行なった。 その結果、煎茶席の流行にともなって、龍の天井絵などの中国風意匠(花江御殿・高橋萬右衛門家住宅)、床柱や落掛・床框および床脇や付書院等の造作材に唐木である檳榔や紫檀・黒檀・白檀等の使用(朝倉文夫邸・花江茶亭・高橋萬右衛門家住宅・旧伊藤家住宅・柏倉家蔵座敷・細谷家蔵座敷・鈴木家蔵座敷・横尾家離れ座敷)、壁に螺鈿細工区の原料である鮑の貝殻(高橋萬右衛門家住宅・鈴木家蔵座敷)や瑪瑙の細粒(朝倉文夫邸)を骨材とした洗い出し壁を確認した。 以上、本年度は、煎茶席遺構および煎茶席と共通の意匠を持つ近代和風建築遺構を調査することによって、煎茶席意匠が、明治期近代和風住宅にまで広く普及していることを明らかにした。
|