1.京都市東山区の長楽寺・安養寺を中心に近世期と近代の景観を比較し以下の点を明らかにした。 (1)東山山麓に立地し、京都市街を一望におさめる景観を十分意識した建築が立てられていた。 (2)すぐれた景観のため、古くから和歌・漢詩・連歌などに詠まれることがおおく、文人墨客の集うところであったこれが近世から近代にいたる、この地域の性格を方向づけることになった。 (3)近世において、宗教施設としてではなく貸座敷・旅館などの遊興施設として機能した面があった。 (4)明治期の神仏分離・廃仏毀釈・上知などにより、存続が危ぶまれたが、安養寺の一部は遊興施設としての性格を前面にだして、日本で最初の外人向け洋風ホテルに変貌した。 (5)上知された境内は、京都初の近代的公園、円山公園に変貌をとげた。円山公園の発足に関しては、近世期の長楽寺・安養寺の遊興施設的側面がもたらしたこの地域の性格が大きく関与している。 2.京都府城陽市内の神社の景観を調査し、以下の点を明らかにした。 (1)城陽市内には常楽寺(荒見神社)・若王寺(久世神社)・薬師院(天満宮社)・神福寺(賀茂神社)などの宮寺があったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈によって廃絶した。 (2)荒見神社は近世期においては、常楽寺境内にまつられる天神社(天満宮)であり、明治になって常楽寺を廃し、仏教建築を撤去して、神社建築中心に境内を再構成し、社名も荒見神社と改称した。
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