研究課題/領域番号 |
11650661
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研究機関 | 京都工芸繊維大学 |
研究代表者 |
日向 進 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 教授 (60111994)
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研究分担者 |
松田 剛佐 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 助手 (20293988)
矢ケ崎 善太郎 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 助教授 (90314301)
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キーワード | 町家 / 普請 / 災害復興 / 近世都市 / 田中吉太郎家文書 / 三上家文書 |
研究概要 |
天明8年(1788)の京都大火直後といる寛政2、3年(1791、2)年に町家などの建築工事を受注した近江屋吉兵衛の記録『注文帳』(田中家文書)は、大きな災害後の復興期における町家普請について知ることができる史料として貴重である。ほぼ同じ時期の天明3年(1783)、丹後宮津城下は大火(晒屋火事と呼ばれる)に見舞われた。このとき、回船や酒造業を営む元結屋(三上家)も類焼したため、直ちに再建に着手した。この再建工事に関しては、職人の『出面帳』が残っており、工事の進捗状況や職人の動員体制を知ることができる。これらによると、京都の場合、近江屋が受注したのは「仮屋建て」といわれるような応急的な普請が大半であった。一方、宮津元結屋は徹底的な耐火対策を講じた土蔵造りの本格的な普請であった(このとき再建された主屋は現存し、京都府文化財に指定されている)。京都、宮津の事例にみられる普請の質の差の概要については、以前に「近世における町屋の災害復興」と題して速報した(『住宅問題研究』Vol.12 No.3、1996年10月)。本年度に至り、古文書の判読にデジタルカメラが有効であるとの教示を得て、田中家文書の再撮影を行った。その結果、『注文帳』についても、かなりの内容が判読可能となった。そして、平常時における坪当たり大工工数や工費の水準値を抑えることが、細部にわたって設定されていることが判明しつつある。すなわち、左官工事代、釘代などが坪当たりで設定されていること、それが普請の質に対応するということなどである。限られた期間に数多くの工事を進めるための積算法が整っていた状況が成立していたと推測される。一方、天明8年大火の普請記録が少しだがあり、また平常時の普請記録も残されているので、さらに詳細な比較検討が今後の課題である。
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