生鮮マグロ類の輸出地は資源に恵まれているだけでなく、日本人の観光地が多く、生鮮マグロ類は主にその間を運航する旅客便の貨物室を利用して運送されてきた。プラザ合意以降の円高が対日輸出を促進し、また同時に起こった日本から海外への観光者数の増大が運航便数を増やし、それを可能とした。 パラオで生鮮刺身向けにマグロを漁獲するのは延縄漁業のみで、それらは中国船、台湾船および日本船でありマグロ延縄漁業の現地化はみられなかった。これはパラオでの漁業技術の不在、観光産業や米国政府の経済援助を基とする公共部門への労働力の吸収、地元の民間資本の不足よるものであった。 フィリピンはマグロ缶詰産業が米国資本により導入され、現地資本に代替され発達してきた歴史があった。まき網漁業がパヤオ(浮漁礁)を用い、それを補助するために導入された地元の小型くり船が一本釣漁業により生鮮マグロを輸出する方向へと発展した。また安価な労働力が豊富に存在してきた。 インドネシアではマグロ漁業が政府主導により開発され、外資の参入制限があった。生鮮向けマグロ延縄漁業は国営企業・州立企業・共同組合と台湾・中国・日本の民間資本との合弁事業という形で導入された。個別漁業経営対の生産性は低いが安価で豊富な労働力を背景に同国の生産量は急激に伸著してきた。 刺身向け生鮮マグロ市場は日本が最大であり、国内市場の需給関係で価格が形成されてきた。日本市場への供給量の増大は市場価格の低下により需要量を増大させてきた。またバブル景気期に一時的な需要の増大が観測された。このように需要側には資源管理費用を高めようという機能は働いてこなかった。 東南アジアの輸出各国はマグロの資源管理を目的に漁船へのライセンスの割当制等による漁獲努力量の制限を試みてきた。しかし漁業者は資源密度や操業費用・輸出費用を勘案して管理費用がより低い所へ移動するために、管理主体が適正な資源管理費用を漁業者へ求めるのが困難であった。従って資源を共有する国々が協調した資源管理制度が必要である。
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