1)大正期におもに集落を基盤にして設立された農家小組合は、地域農業再編のための地域的・農民的自発性に基づく意味ある試行錯誤であったが、組織的にはそれを継承したものの戦時体制下の農事実行組合は、総力戦体制を支える基本ユニットにすぎず地域的・農民的自発性をそぎ取った別物である。この両者を明示的に区別し、農家小組合のもっていた可能性を評価する必要がある。これが第一のポイントである。 2)戦時体制期に集落と集落を基盤にした農民組織が注目されたのは、それがもつ共同体的な結合力が、一方では農民支配を容易にし、他方では労働力と生産資材欠乏のもとで必要とされる相互調整を可能にすると考えられたからであった。しかし、戦時体制末期には生産諸要素の欠乏深化のため集落内での解決が不能となり、集落をはるかに超えた市町村および市町村間レベル・府県および府県間レベルの大掛かりで重層的な相互調整が不可避となった。戦時体制は集落及び集落に依拠した農業組織の力を最大限引き出すとともに、その限界も露呈させた。これが第二のポイントである。 3)わが国で構造政策が容易にすすまない原因の一つは、「家・土地」の結びつきがあまりに強固なことである。しかし戦時体制はかかる固着を大幅に揺り動かす初めての経験となった。しかしこのような経験は戦争の暗い思い出として葬られ、戦後の民主化は「家・土地」結合の強化・普遍化(自作農体制)として帰結することとなった。農地改革=戦後自作農体制送出は大きな歴史の進歩でありえたが、それは排他的・私的所有の弱化=自作農的土地所有の公共的性格の強化に裏打ちされるべきであったが、かかる観点からみる時、上述したような戦時体制下の動きは貴重な経験として見直されるべきであった。これが第三のポイントである。
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