研究概要 |
授時暦とは元の世祖フビライの治世,至元18年(1381年,辛酉)正月1日をもって施行された新暦のことである.授時暦は元明両王朝を通じて使用され,その期間は明が滅亡する1644年までのおよそ364年の長期にわたった.授時暦を除く中国における暦の施行期間は平均30年程度であるから,授時暦はきわめて長い期間にわたって使用されたことになる.また,前漢の武帝のとき施行された太初暦(前104年)以来1750年間に歴代王朝による暦は48におよぶが,授時暦はこれらの中で最後を飾るものとなった.これまで授時暦に関しては,たとえば招差術,弧矢割円術,日食計算など,さまざまな部分が研究されてきた.また授時暦施行までの過程も研究されている. 本年度研究したのは,授時暦議上冒頭「験気」後半になされている冬至,夏至決定の計算についてである.この部分は技術的には単なる比例計算であり新機軸はないが,きわめて多数の計算が繰り返されている.本年度はその分類を試みた.その結果,冬夏至日時刻を決定するのに用いた3日分の影長の関係によってそれぞれに応じた比例計算を行っていることがわかった.すなわち,その計算型の選択は一見無造作に見えるが,そこにはほぼ一定の基準がある.元来,原文の一部は表現があいまいで,その部分を単独に読んでいたのでは,どのように計算したのかを正確に判断することはできない.たとえば至元15年の夏至計算において,夏至前後3日分づつの影長が記されたあとに「前後互取」とだけある場合がそれである.計算は冬至または夏至前後の3日分の影長を用いるのであるが,この記述だけではどの3日分を用いたのかがあいまいである.今回の計算型の分類によって,これら表現があいまいな部分の解釈を推測し定めることができた.
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