シンガポール、マレーシアのマレー半島南部とインドネシアのリアウ郡内のシンガポールに近接する島々からなる地域は成長の三角地帯ともいわれ、産業経済活動が国境を越えて一体的に展開する都市圏を創り出してきた。シンガポール島は、第2次世界大戦以前のイギリス植民地時代に、すでにマレーシアのジョホール州との間には陸橋が敷設されて陸続きとなっていた。両地域間の緊密な関係は長い歴史を持っている。第2次世界大戦後の自治領から独立に至る経緯の中で、1960年代早期に同島内で産業基盤整備が進展した。このため、外資導入は他の東南アジア諸国よりもかなり早期に進んだ。 成長の三角地帯の形成については1980年代末のシンガポールの政策が指摘される。しかし、マレーシアでは1970年代以降、地方工業化の観点からジョホール州でも工業団地開発などの産業基盤整備が進んでいた。1990年代に入って急速に進展したかのようにみえるこの三角地帯の形成も、それ以前の1970年代からマレーシアとインドネシア政府の地方開発の努力があったのである。 国家間の政治的障壁が高くとも経済成長を先行させたことが、このユニークな都市圏経済の形成につながったのだが、多国籍企業の行動がこの地域の経済に大きな影響を与えている。中でもアメリカ系企業に加えて日系企業の存在が大きい。これらの外来企業が主導した地域経済の編成は、一方では急速な経済成長を実現してきたけれども、その基盤は不安定なものであった。1997年以降のアジアの金融経済危機に際して、日系企業は撤退、事業縮小と派遣日本人数の削減などの対策をとった。この地域の経済を支える企業はアメリカ市場や日本市場の状況に影響を受けている。
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