研究概要 |
日本政府は,プロジェクト方式技術協力のほか,円借款や技術協力などODAの各分野で公害対策に関する技術移転を進めている。しかし,産業振興策や景気浮揚策と違い,公害対策は開発途上国ではなかなか受け入れられないし,根づかない。日本やその他先進国の法制度や技術を開発途上国に持ち込んでも,利用されずに無駄に終わってしまうことも少なくない。移転した公害対策・技術が本当に根付いていくかどうかは,その国の社会的・経済的事情によって大きく異なると考えられる。 翻って日本の公害経験を見ると,1970年の公害国会によって環境関連の法制度が国レベルで整備される以前には,市町村には公害対策に関連する権限は全くといって良いほどなかった。そのような状況の中で,横浜市は公害防止協定を締結する「横浜方式」によって1960年代後半には大気汚染のレベルをかなり下げることに成功した。一方,大阪市では横浜方式の導入を市議会野党やマスコミから求められても,これを一貫して拒否し,大阪独自の行政指導を展開して公害問題を解決していった。このように高度経済成長期前後に地方公共団体が行った公害対策のアプローチは都市毎にかなり異なっている。またそれが成功した背景にも,様々に異なる経済・社会状況があった。本研究では大阪市,横浜市,北九州市を対象として事例研究を行い,各都市の公害対策の背景としてあるそれぞれの社会経済的状況を明らかにした。 続いて,このような日本の公害経験を開発途上国にどう適用できるかを,現地調査とシステム・ダイナミクスを用いたモデリングで検討を行った。ここでは,フイリピン,タイ,マレーシアで現地調査を行うと共に,日本の公害問題の発生,影響,対策をモデル化し,それが時間変化に伴ってどのように変わっていくのかを明らかにした。
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