今年度の前半はセレノトリプトファン(1)の効率的な合成法の確立を目指して対応するデヒドロアミノ酸誘導体の置換基効果を調べた。その結果、従来用いてきた合成中間体に代わるβ-(N-フェニルアミノ)デヒドロアラニン誘導体(2)を見出すことができた。この新規の中間体をもってしてもなお目的とするセレン化合物(1)は天然型のトリプトファンの場合に比べて著しく低い収率でしか得られなかったが、並行して検討してきた5-ブロモインドールと(2)との反応に成功したので、現在(1)よりも5-ブロモトリプトファン(3)の大量調製に研究の主軸を移して実験を続けている。このアミノ酸アナログ(3)は、重原子として導入した臭素の原子量(80)が(1)のセレンの原子量(79)とほぼ等しく、酸化されやすいセレン化合物よりも化学的に安定であることが期待される。当初の計画は、天然のアミノ酸に含まれるイオウ原子をセレンやテルルなどのカルコゲン原子で置き換えたセレノメチオニンやテルロメチオニンを用いた研究の成功例をヒントに(1)を調製するものであった。しかし、本研究課題を遂行するためにタンパク質中のトリプトファンに導入する重原子はカルコゲン原子に限らず、臭素やヨウ素のような八ロゲン原子でも何ら問題はないはずである。既にフッ素化したフェニルアラニンやトリプトファンがタンパク質中に取り込まれた例が知られているので生合成の面から見ても(3)のようなトリプトファンのハロゲン置換体はタンパク質の重原子標識化に適していると考えられる。以上の知見をもとに、今後多種類の重原子置換トリプトファン誘導体を合成し、その各々についてタンパク質への取り込み実験を試みたい。ハロゲンを重原子として含むタンパク質の多波長異常分散法に基づくX線結晶解析例はこれまでになく、本研究で重原子の選択の可能性が大きく広げられることも期待される。
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