研究課題/領域番号 |
11691001
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
天野 哲也 北海道大学, 総合博物館, 助教授 (90125279)
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研究分担者 |
熊木 俊朗 東京大学, 人文社会系研究科, 助手 (20282543)
臼杵 勲 文化庁文化財保護部, 記念物課, 文化財調査官 (80211770)
前田 潮 筑波大学, 歴史・人類学系, 助教授 (40015897)
石田 肇 琉球大学, 医学部, 教授 (70145225)
小笠原 正明 高等教育機能開発総合センター, 教授 (60001343)
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キーワード | オホーツク文化 / 続縄文文化 / 歯の咬耗 / 食習慣と歯の咬耗 |
研究概要 |
ユージュナヤ、プリェドリェフリャンカ遺跡などの資料を引き続き精査・記録した結果、縄文晩期-続縄文期の展開はたどれるようになったが、これと初期オホーツク文化(十和田式段階)の間では、土器や石器などの面で差異が大きく、そのつながりはなお未解明である。クズネツォーヴォやアジョールスク遺跡など住居址とセットになったまとまりをもつ資料群を集中的に精査して各段階のモデルをつくりあげることがもとめられる。 サハリン南西部ザミライラヴァ ガラヴァー遺跡の試掘調査で、これが時期的に北海道奥尻島チャツ遺跡などと並行する中期に属し、しかもそれと共通の懸崖型の砦遺跡であることが明らかになった。このことから、中期にオホーツク集団をめぐる社会的緊張が高まったことを推測できる。 また南東部セディフ遺跡で、サハリンで2例目の青銅製帯飾板がみつかった。これは潭英杰・趙虹光による分類(1991)の「二型」にあたり、類例はとしては10〜12世紀アムール中流域ナデージュデインスカエ遺跡のものなどをあげることができる。以前にもこの遺跡では心臓形のペンダントや葡萄の葉を表現した青銅製の装飾品などパクローフカ文化の資料が発掘されている。これらは北海道ではまったく出土していないので、後期以降オホーツク集団の一体性が弱まり、地方的独立性が強まった状況が考えられる。オホーツク文化の変容過程を示すものであろう。 京大・札幌医大所蔵の人骨資料歯の観察から極度の咬耗例(外傾)が多いことが判明した。咬耗面のSEMによる観察結果と臨床データを総合すると、道具としての歯の使用よりも、食習慣(食物の種類・物理的特性・異物の条件)による過度のすり減りである可能性がおおきくなった。
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