研究分担者 |
山川 隆 東京大学, 大学院・農学生命科学研究科, 助教授 (20134520)
岩本 純明 東京大学, 大学院・農学生命科学研究科, 教授 (40117479)
藤田 夏樹 東京大学, 大学院・農学生命科学研究科, 教授 (30190044)
根本 圭介 東京大学, アジア生物資源環境研究センター, 助教授 (40211461)
高野 哲夫 東京大学, アジア生物資源環境研究センター, 助教授 (30183057)
|
研究概要 |
ボゴール県から3地域を選んで,経済発展に伴い,重要な畑作物であるキャッサバの栽培がどのように変化したかを調査した。灌漑設備が整っていないS村では,キャッサバを栽培するのは水稲生産量の少ない世帯で,生産されたキャッサバは自家消費される割合が高かった。また,キャッサバに対する化学肥料の施用量はきわめて少なく,在来品種が用いられており,タロイモやマメ科作物と混作することが多かった。灌漑設備が整ったC村では,水稲作が盛んで調査世帯の一人当り水稲生産量も多かった。キャッサバは混作されることは少なく単作が中心で,改良品種が栽培され,化学肥料の施用量も多く,同村のキャッサバ生産は商品作物生産へと変化していた。都市部にあるT村では,宅地化の影響を受けて灌漑施設が破壊・寸断されたため,水稲作は皆無で,デンプン工場への販売を目的にキャッサバの単一栽培が行なわれていた。高収量品種が広く栽培されていたが,農民たちは品種を意図的に選択しておらず,幾つかの品種のうち入手しやすい品種を栽培していた。ジャワ島では,かってキャッサバは米の不足分を補う付加的な食糧として重要であったが,1960年代後半から水稲生産が急増するようになると,付加的な食糧としてのキャッサバの性格は薄れ,販売を目的としてキャッサバが栽培されるようになったこと,また,それに伴って,化学肥料を施用せずに在来品種を混作する方式から,化学肥料を施用し高収量品種を栽培する方式へと変化したことが明らかになった。さらに,経済発展が進む中,都市化が進み水稲作が困難となると,デンプン工場のある地域では商品作物として,キャッサバだけを栽培するようになった。そこでは決まった買い手があり,比較的労働を必要としないという理由でキャッサバ栽培が行われていると思われる。
|